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この時期、咲いたり・散ったりをよく耳にしますが・・・

本社Sです。

受験生の皆さんは、最後の追い込みと試験のさなかで、心身ともに疲れておられる事ではないでしょうか?
この時期は、その結果を時節柄、桜に例え、『サクラサク』や『サクラチル』など、小生の学生時代はよく耳にしていたと記憶しています。

しかし、学生の頃から捻くれていた小生は、『サクラチル』の表現は不適切だと感じており『散る』為には『咲く』ことが前提で、であれば『散る』というのも、一度は咲いたんでは?などと言う無意味な自分なりの哲学で、苦い受験時代の思い出を払拭しようとしていた事を思い出します。
小生の場合は、咲くも散るも、その苗木さえ植えてはいない為(頑張っていない)、咲くはずない桜に例える次元では無かった事を思い出し、苦笑しています。

ただ、学生時代にその努力を使い果たしてしまい、社会人になって、その苗木を植える努力や熱い思いを失うより、長い時間、ゆっくり・確実な苗木を植える人生もいいのではないかと最近よく感じています。
必ず、学生時代ばかりが、桜の季節ではなく、一生を終えるまで桜の季節は誰にでも与えられる機会で大人になって、心身ともに成長し熟した環境で、桜を咲かせる努力をする事もとても大事で、日々の自分から逃げず、忙しさを理由にせず、桜を咲かせる事に頑張る生き方も又、いいものではないでしょうか?

よく『心の花を咲かせる』という言葉やフレーズを見たり、聞いたりしますがまさに誰のためとかでなく自分自身の中にある、桜を咲かせる事は、その人にしか分からない苦しみや喜びがあり、だからこそ誰にも見えずとも、知られなくとも、その人にとって尊く・かけがえのない開花ではないかと思ってます。

小学生の時、剣道を教えて頂いた恩師から卒業に際し、『青春を人生を謳歌せよ』と言う言葉を頂き、今もその言葉を胸に頑張っておりますが、人知れず心の桜を咲かせる事は意味は違えどもう一つの『桜花』と言えるのかと思っています。
受験や資格試験に挑まれている方も多いかと思います、確かに結果が問われる事ですが自身の心に桜花させようと努力するその心持ちが、こらからの人生の大切な糧になるんだと私は思っています。なによりも、苗木を植える事(よしっ!目指そう)が、大切なんだと思います。

ところで、偉そうに申している小生は、学生時代のツケが大きいため、今後も桜の花を咲かせる事は難しいように感じています・・・ですから、写真の『満作』の花を咲かせるよう努力します。
『幸福の再来』という、花言葉があり、いち早く春先に開花する花です。
既に、芽吹いているようなので、負けないよう年末の資格試験に向け、頑張ってみます。